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金沢大学小児科 入局アピール
小児科医になろうとしているみなさまへ
-ミネルヴァの梟となるべく-
谷内江 昭宏

 医学生のみなさん、研修医のみなさん。小児科医になりませんか。ここでは、小児科医となることの素晴らしさについて私の考えをお話し、みなさんへの歓迎のメッセージとしたいと思います。
 私たちが小児科医になろうとしているみなさんに力を尽くして提供できる教育は、次のようないくつかの段階に分かれています。それぞれのステップのいずれもが大切なものです。これらは、将来みなさんが新しい小児科医としてこの分野を切り開いて行くためには無くてならないものです。

 第一の段階は「こどもを診る」ことの喜びを学ぶことです。すなおに、こどもを診ることは楽しいことだと言うことを知って頂きたいと思います。小児科の守備範囲は広く、超未熟児と呼ばれる生下時体重が600gに満たない新生児から、思春期を超えてもはや中年の域に達しようとしている患者さんまで診療の対象としています。一方では小さく生まれた未熟児が何の障害もなくすこやかに成長するよう、日夜悪戦苦闘している小児科医がいます。他方では慢性の病気と長い年月戦っているこども達と、つらい歩みをともにする小児科医がいます。このような先輩の姿から、小児科医としての「こどもを診る喜び」を学んで下さい。手のひらに乗るような大きさで、呼吸もおぼつかなかった未熟児が元気に成長して退院する姿を見ることは、とてもうれしいことです。その子がすくすく大きくなり、幼稚園に、そして小学校へと入学する姿、さらには成人してこどもを抱く姿までも見ることがあります。これらの経験は、小児科医だけが持つことができる特権です。病気のこどもが母親とともに不安げな表情をして、ある場合は肉体の苦痛を抱えて入院生活を送り、やがて良くなって笑顔で手を振って退院していく姿を見送るのも、小児科医の喜びです。一緒に並ぶご両親や祖父母の感謝の表情にも、小児科医がやりがいを感じることが多いものです。

 こどもは遠慮しません。注射が嫌だったら泣きわめいて、蹴飛ばして、悪態をついて逃げ回ります。入院して少しでも元気になると、ひよっこの小児科医の弱点を容赦なく責めて来ます。点滴の下手なA先生、いつもひげぼうぼうのB先生、朝寝坊のC先生、教授に叱られてばかりのD先生。呼び捨て、あだ名は当たり前。主治医に遠慮することもなければ、教授におべっか使うこともありません。そのかわり、ご機嫌が良い日は一緒に遊んでくれたり、絵を描いてくれたり、お話をいっぱいしてくれたり、主治医は大忙しになります。そんなこどもたちが、若い小児科医を育ててくれるのです。元気づけ、励ましてさえくれるのです。これも、小児科医ならではの喜びです。

第二の段階では、みなさんに「こどもの病気をきちんと診ることのできる医師」となって頂きたいのです。こどもの病気は多くの場合、比較的わかりやすいしくみで発症します。遺伝子異常が直接症状と関連する場合が多くあります。急性疾患の多くは、気管支炎や胃腸炎などの感染症です。大人と違って複数の病気がからみあって複雑に影響し合っているということはあまりありません。したがって、病気のこどもを良く診察して、適切な検査を行えば、後は深い洞察力と知恵がものを言う領域です。病気の診断に至るプロセスの醍醐味は小児科ならではのものがあります。一方で、こどもの病気の症状はその原因、あるいは引き金となる出来事が共通であっても、その子がもっている個性(遺伝的な背景の違い)によって、驚くほど多彩な現れをします。また、同じ遺伝子異常による病気であっても、その時の環境要因の違いが多様な症状を生み出します。さらに、成人の疾患の多くが「診断基準」によって規定される、いわゆる完成された疾患であるのに対して、こどもの疾患は病気として固定していない状態で私たちの前に現れます。このような段階で病気の本質を見抜き、正しい診断を行い、早期治療介入を行うことも小児科医としての重要な責任です。遺伝子解析や病態解析の分野が発展するにつれ、病気の診断に対する考え方が大きく変わりつつあります。多くの、成人の疾患だと考えられていた病気が小児期から発症しゆっくり進展している可能性が示唆されています。小児科医はこのような、時系列に沿った疾患のダイナミックな変化も知らなければなりません。

第三の段階は最も大切なことです。みなさんには「自らが経験し学んだこと、発見したことを発表すること、普遍化した言葉を発信すること」を学んで頂きたいと思います。小児科学に限らず、臨床医学はすべて数えきれない多くの先達の血のにじむような努力の積み重ねの学問です。新しい技術の開発も、医療の進歩も、このような学問の積み重ねによってしか実現されません。私たちは先輩が残した財産に頼って、それを消費するだけの存在であることは許されません。著明な雑誌に論文を投稿するだけが全てではありませんが、臨床の経験の中で見つけた小さな事実を共通のことばで表現して報告することはとても大切です。これらの積み重ねの延長線上に、より大きな発見や成果が見えてきます。小児科医は特に、ひとりひとりのこどもたちをていねいに診療する中から誰も気がつかなかった事実を見つけることが多く、新しいことを見いだす機会に恵まれています。しかし与えられた機会を活かすためには、簡単に「診断名」をつけず、病態を丁寧に分析する姿勢が要求されます。私たちは先輩として、みなさんがこのような経験を積むことを助けてあげたいと思います。臨床医の目と研究者の思考を併せ持つ、すぐれた小児科医を育てることが私たちの最終的な責任と思い、自身の研鑽のためにも日々努力しています。

 最後に、小児医療は危機にさらされていると報道され続けています。確かに、地域医療のしくみや医学教育のさまざまな問題点が噴出して来ているのは事実です。より重症のこどもたちを救うことができるようになった一方で、それらのこどもたちの診療に携わる小児科医の疲労は蓄積しています。救急医療の問題も指摘されています。「コンビニ診療」の需要が増え、一般病院や救急センターの役割が問い直されようとしています。石川県場合は特に、僻地の診療が大きな課題となっています。金沢市近郊が抱える問題と、奥能登地区が抱える問題は全く質の異なる、それぞれに深刻な問題です。知恵を働かせて解決しなければいけません。
  このように様々な課題を抱えてなお、小児科医はこどもの診療に日夜励んでいます。それは、私たち小児科医が常にこどもたちにとって必要とされる存在だからです。「こどもは未来である」と、ある小児科医が言いました。その通りだと思います。こどもを育てるには、コストパフォーマンスでは測れない、高い志が必要です。小児科医が時に愚鈍なまでに優しく熱心なのは、こどもに希望を見いだしているからです。その診療は、咳や鼻水のこどもを診ることから、気管挿管を必要とする救急医療、幅広い知識と深い洞察力が要求される慢性疾患診療、そして病気の本態に迫り知的好奇心を満たしてくれる研究と、実に幅広い範囲を網羅しています。これらの仕事は時につらく厳しいものですが、一方で実に楽しくよろこびの多いものです。

ミネルヴァの梟はたそがれに飛翔し、夜明けに向うとされています。時代の曲がり角がたそがれに見える時こそ、新しい時代を切り開くチャンスです。みなさんも私たちと一緒に小児科の新しい幕開けに向かって飛び立ちませんか。