第一解剖学教室の歴史

1. 沿革

 1862(文久2)年の加賀藩種痘所に始まる金沢大学医学部の幼籃期に解剖学を講じた教官としてはオランダ人スロイス、同ホルトルマン、本学出身の金子次郎らがいる。1868(明治元)年、本学創立者のひとり黒川良安が長崎から持ち帰ったフランス製人体模型(キンストレ−キ)はその後長年にわたり解剖学教育に用いられ、医学部記念館に現存している。1887(明治20)年8月、本学は4年制の第四高等中学校医学部となり、翌1888(明治21)年6月、解剖学・組織学・病理学の教授として東京大学卒業の川瀬泰輔が着任した。1893(明治26)年9月、川瀬教授に代わり東大大学院で解剖学を専攻した鈴木文太郎が着任し、初代の専任教授として解剖学教室の基礎を築いた。同年11月に初めての解剖体慰霊法要が卯辰山の解剖墓地で営まれ、以来今日まで毎年続いている。1894(明治27)年7月、本学は第四高等学校医学部と改称され、解剖学教室は法制上2講座になったが、教授は一人のままであった。1896(明治29)年7月鈴木教授退任の後、8 月に当時大阪医学校教諭の金子治郎が解剖学教授として迎えられた。

 1901(明治34)年4月、本学は四高から分離独立して金澤醫學専門學佼となり、現在の小立野の地にまず病院が、1911(明治44)年に校舎が建築されたが、解剖学教室が現在地に移ったのは1915(大正4)年である。解剖学教室は2講座2教授制となり、1901(明治34)年5月、第二講座の初代教授として四高医学部講師の石川喜直が就任して解剖学・ 局所解剖学を担当し、第一講座の金子教授は解剖学・組織学・胎生学を担当した。1923(大正12)年3月、本学は金澤醫科大學(旧制)に昇格した。翌1924(大正13)年に退官した金子教授に代わり当時第二講座教授の佐口栄が第一講座教授に就任した。1934(昭和 9)年10月、現存の解剖学標本庫が完成した。

 1949(昭和24)年5月、学制改革に伴って金沢大学が発足し、金澤醫大は金沢大学医学部となった。1952(昭和27)年4月医学部に電子顕微鏡が設置され、研究・教育に利用されはじめた。1953(昭和28)年7月、第三解剖学講座に定員を置くことが決まり、当時第一講座助教授の本陣良平が第三講座主任となった。1955(昭和30)年に大学院医学研究科が発足した。同年6月佐口教授が急逝し、本陣助教授が1956(昭和31)年1月に教授に昇任し、第一講座の主任となった。1966(昭和41)年、現在の基礎研究棟が完成し、また翌1967(昭和32)年に解剖、法医、病理のための独立した解剖棟が完成して、9月から解剖学実習を新実習室で行なうようになった。1985(昭和60)年9月に本陣教授が金沢大学学長に就任のため退任し、後任教授として当時新潟大学助教授の近藤尚武が1986(昭和61)年4月、就任した。同年から翌年にかけて、組織学実習用の光学顕微鏡が全面的に更新された。1989(平成元)年7月、近藤教授が東北大学に転出した後、1990(平成 2)年5月に助教授の井関尚一が教授に昇任して現在に到る。第一解剖学講座は従来から医学部学生に対して、主として組織学・発生学・内臓学の講義ならびに組織学実習の指導を担当している。

2. 教育と研究

 第四高等中学校時代までは解剖実習は稀で、生徒はもっぱら模型で勉強していたようである。四高医学部では、一年で解剖学と組織学、二年で解剖および組織学実習、三年で局所解剖学が教えられた。鈴木教授は教材標本の充実に努力し、上手な図とユ−モアを交えた名講義を行なった。鈴木教授のもとで行なわれた研究には、右鎖骨下動脈の破格、甲状腺の比較解剖、髄鞘染色法などがある。金沢医専時代、金子教授は解剖実物標本の製作に意を用い、本学の標本庫の名を世に知らしめた。研究業績の「鎌状縁および腱弓の人工作成」(Arc. Entwickl. Mech., 18, 1904)は、我が国における発生機構学の噛矢として評価されている。1922(大正11)年10月、学制領布年記念に際し、金子教授は医学界からただ一人、在職40年の教育功労者として表彰を受けた。金子教授の門下から佐口栄、岡嶋敬治、岡本規矩男の3教授が輩出している。金沢医大時代から第一講座が組織学実習、第二講座が解剖学実習を行なうようになった。

佐口教授時代(1924−1955)

 佐口教授は細胞学の研究に主力を注ぎ、その業績を欧文専門誌や同教授創刊のZytologische Studien(後にCytological and Neurological Studies)に発表した。また銅ヘマトキシリン・ミトコンドリア染色、中性赤生体染色液胞固定など、新しい組織標本作成法を考案した。佐口教授時代には、表皮細胞のミトコンドリア、膵臓の内および外分泌細胞の分泌過程、線毛上皮細胞の線毛などの研究に始まり、以後、細胞内小器官と細胞核、特に核小体との関連について研究が進められ、培養細胞における核小体の生物学的意義が追求された。佐口教授の門下から、石丸士郎、本陣良平両教授が解剖学を専攻した。

本陣教授時代(1955 − 1985)

 戦後の新制金沢大医学部になり、本陣教授の時代には、教室の研究の主体は神経系となった。神経染色法と神経軸索変性追求法に加えて各種の組織化学的方法、また光学顕微鏡に加えて電子顕微鏡を用いて、広く臓器における末梢神経終末分布を研究した。電顕および凍結割断レプリカ法を用いた神経線維とその被鞘装置および神経終末、神経膠細胞等の微細構造の研究、電顕およびX線回折法を用いた神経髄鞘の単位膜における脂質分子の構築の解明、さらに両棲類の卵黄粒蛋白質の高次結晶構造の発見等、多くの業績が生まれた。本陣教授の門下からは中村俊雄、高橋暁、平松京一、水上稔の4教授が輩出した。

近藤教授時代(1986 − 1989)

 近藤教授は光顕および電顕的免疫組織化学、さらに新しい方法である遺伝子組織化学(in situ hybridization)を駆使して、自律神経節や神経終末、頚動脈小体、副腎髄質、小脳、松果体等における種々の神経特異的ペブチドの発現と局在について研究を行ない、多くの業績を残した。また無包埋切片の電顕観察による細胞質の微細構造の研究や、消化器系の物質局在の研究も行った。

井関教授時代(1990 − 現在)

 1997(平成 9)年9月現在、第一講座の研究者は井関尚一教授、天野修助教授、山本美由紀助手、沼田雅行助手、范莉英助手、若山友彦大学院生であり、組織学・発生学の教育と研究を行なっている。研究対象はラットやマウスの広範な器官・組織、たとえば消化管上皮、唾液腺、精巣、神経節、胎仔組織などであり、光顕および電顕的免疫組職化学や遺伝子組織化学を用い、細胞の増殖や分化に関与する蛋白質の発現と局在について研究している。これまでの主な業績として、消化器系における脂肪酸結合蛋白質、睡液腺における各種の細胞増殖因子、神経再生における神経成長因子、精子発生におけるDNAメチル基転移酵素、発生におけるプロトンポンプ、肝と腎における尿トリプシンインヒビタ−などに関する研究がある。

3. 将来の課題

 形態学の主流は生物体の構造という「かたち」を基盤にしつつも、そのなかで特定の物質が存在する「場所」を追及することに移っている。最新の分子生物学の成果に立脚し、組織化学の手法を用いて組織・細胞における生理活性物質の発現と局在を調べ、また種々の生理的また実験的な条件下でその変化を調べることにより、当該物質およびそれを産生する組織・細胞の役割を解明することが当講座の研究目標である。これまでのホルモンや細胞増殖因子といったリガンドの発現のみならず、それらの受容体や細胞内シグナル伝達に関する物質の発現についても研究を進めたい。成体におけるのみならず発生過程における物質発現をも対象とし、また in vivoの生物体のみならず培養した器官・組織をも材料として用いたい。教育面では、学生に医学の基礎としての細胞学・組織学の知識を得てもらうこと以外に、生命科学の最先端としての形態学の面白さをも伝えるようにしたい。

 

参考文献:『金沢大学医学部百年史』(1972)、本陣良平著『金沢大学解剖学教室の歴史』(解剖誌49,92-97, 1974)、『金沢大学医学部百年史以後三十年の歩み』(1993)、『日本解剖学会100周年記念教室史』(1995)(文責 井関尚一)