三浦信孝
「フランス語は数を勘定できない言葉だから、国際語として失格しているのもむべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ。」これは、近く開学する「首都大学東京」の支持組織
"Tokyo U-club"が昨年10月19日、都庁で設立総会を開いたとき、石原都知事が祝辞のなかで述べた言葉だと伝えられます。過去にも「三国人発言」など差別発言を繰り返してきた確信犯だけに驚くことはありませんが、その直後の11月初め、京都や東京と友好都市協定を結んでいるパリのドラノエ市長が来日し、都知事とも会見していますから、どんな顔で応対したのか気になるところです。社会党のドラノエ市長は同性愛者として知られていますからウマが会うはずはありません。しかも今回、広島市長が主宰する平和市長会議のメンバーとして、2005年にヒロシマ被爆60周年を記念する展覧会をパリ市庁舎で開くことを約束しており、タカ派の石原都知事とはだいぶ肌合いが違います。
確かにフランス語では70をsoixante-dix (60+10), 80をquatre-vingts (4x20), 90をquatre-vingt-dix
(4x20+10)といいますから少しやっかいですが、数の勘定に支障がないことは、フランスが多くの優れた数学者を出していることでも分かります。ついでながら、スイスやベルギーでは70,
80, 90をそれぞれseptante, octante, nonanteということはご存知でしょう。
では、フランス語は国際語として失格でしょうか。フランス語の母語話者人口は8000万人と日本語より少ないのですが、第二言語としてフランス語を話す人口を加えると1億8000万人にのぼります。常時フランス語を使うFrancophones
reelsが1億2000万人で、頻繁にフランス語を使うFrancophones occasionnelsが6000万人という統計もあり、合計すればやはり1億8000万人になります。
国内だけで10億を越える人が話す中国語や、5億近い人が話すヒンディー語のような大言語を別にすれば、フランス語は、英語(6億)、スペイン語(3億)、アラビア語(2億)に次ぐ話者人口をもち(ポルトガル語は1.6億)、世界の5大陸で使われる広域性と国連やEUなど国際機関の公用語・作業言語として使われる流通性では、英語の後塵を拝していますが、重要な国際語といって差し支えありません。1999年の国連総会冒頭の一般演説でフランス語を使った国の数は29で、英語の93と比べ大分開きがありますが、第2位です。むしろ、国連安保理の常任理事国入りをめざし、日本語の国際化に意欲的な日本にとって、数は多くなくても世界各国にフランス語を話す層が必ずいるフランス語普及のあり方は大いに参考になります。
フランスの人口は6000万人強ですから、世界の仏語話者人口の半分にも達しません。ヨーロッパ(7000万)以外に仏語話者人口が多いのはフランスとの歴史的関係が深いブラックアフリカ(1600万)とマグレブ(1500万)で、それにカナダのケベック州(700万)やカリブ海(180万)、インド洋(90万)、中近東(150万)、インドシナ(18万)、南太平洋(47万)、ラテンアメリカ(13万)が続きます(カッコ内は常時使用者数のみ)。アメリカ・ルイジアナ州26万のフランコフォンも忘れられると怒るでしょう。
Francophonieという用語を初めて使ったのはフランスの地理学者オネジム・ルクリュで、1880年の著作『フランス、アルジェリアと諸植民地』が初出です。フランス植民地主義の過去を反映したこの語が積極的な意味で使われるにようになるのは、それから80年後のことで、1960年代の初め、アフリカの植民地がいっせいに独立した後、フランス語を共有する国々の連帯と協力をめざすフランコフォニー運動が始まります。
「フランスのユマニスムが植民地化の歴史を通してアフリカやアラブ世界と出会い、各地で人々のアイデンティティ意識を目覚めさせ、同時に、文化的混淆によって新しい〈普遍性の文明〉の可能性を開いた。植民地体制の瓦礫のなかに見出したこの素晴らしい道具を利用しようではないか。」こういってフランコフォニーを提唱したのは「ネグリチュード」の詩人でセネガルの大統領だったサンゴールです。それにチュニジアのブルギバ大統領らが同調し、1970年3月20日にニジェールのニアメで21カ国からなる「文化技術協力機構」ACCTが発足します。
フランコフォニーをフランス外交の武器として重視したミッテラン大統領は、1986年に第1回仏語圏首脳会議をパリで開き、以後仏語圏サミットは世界各地でほぼ隔年ペースで開かれています。当初42だった加盟国は今や50を数え、ACCTはフランコフォニー国際機関OITに発展し、1997年のハノイ・サミットで創設された事務総長職はエジプトのブトロスガリ元国連事務総長から元セネガル大統領のアブドゥ・ディウフに引き継がれています。
私たち日本人もフランス語を話す人はフランコフォンですが、なにせ絶対数が少なく、日本が仏語圏国際機構に加盟することはないでしょう。しかしフランスは文学や美術や思想を中心に日本の近代化に大きな影響を与えてきた文明のひとつです。しかもポストコロニアル(植民地後)の現代にあって、フランスはフランコフォニーの広がりのなかで相対化され、世界の中心でなくなったことによりかえって新しいメッセージを発信するようになリました。そこにはたとえばサンゴールが唱える「文化の混淆」(metissage
culturel)、あるいはカリブ海の作家エドゥアール・グリッサンがいう、グローバル化の対抗原理としての「クレオール化」(creolisation)のメッセージが反映されています。
注目すべきは、フランコフォニーが、グローバル化とともに進む「文化の画一化」と「文明の衝突」という一見矛盾する二つの論理を拒否し、「文化の多様性」(diversite'
culturelle)と「文化間の対話」(dialogue des cultures)を提唱していることです。これはフランス語が、かつて普遍的文明の名のもとに異文化を支配したヘゲモニーの論理から、差異を尊重する多言語・多文化の論理にシフトしたことを示します。フランス語はコミュニケーションの手段であるだけでなく、独特の価値観・世界観をもった言語です。2003年3月20日、米英軍によるイラク侵攻が始まったまさにその日、東京日仏学院の庭に内外から800人近いフランコフォンが集まって開いた日本初のフランコフォニー祭は、偶然とはいえそのことをよく象徴しています。仏語圏各地の料理を味わい、音楽と踊りに興じ、それは楽しい夕べでした。
2003年3月に始まったFete de la Francophonieは今年で3回目を迎えます。記念日の3月20日までの約1週間、フランコフォン作家や言語学者による講演討論会があり、映画祭があり、ライブコンサートがあります。2004年3月にはハイチ革命200周年を記念して専門家のセミナーが開かれ、エメ・セゼールの戯曲「クリストフ王」が上演されました。「フランコフォンの国を知る」というテーマでアフリカ・マグレブ8カ国を紹介するセミナーもありました。
昨年の企画でもっとも意味があったのは、3月のフランコフォニー祭に合わせて刊行された日本フランス語教育学会編の『フランス語で広がる世界』(駿河台出版社)です。フランス語は文学研究者や芸術家だけの言葉ではありません。この本は外交、報道、ビジネスからNGO、モード、料理、スポーツなど多様な分野で活躍する日本人フランコフォン123人のユニークな証言を集めたもので、フランス語をやった人はみな個性的で一味違うことを実感させてくれます。
では今年の目玉は何でしょう。催し物の全貌はフランコフォニー祭の公式サイトwww.francophonie.jp
でご覧いただくとして、ここでは3月12日と19日に行われる二つのフランス語スピーチコンテストを特記しておきます。前者は大阪日仏センター=アリアンス・フランセーズが中心になって組織する新しい企画、後者は朝日新聞社が1962年以来毎年11月に実施してきた「コンクール・ド・フランセ」を東京日仏学院が引き継ぐものです。
大学入学以来40年フランス語を勉強してきた者として申し上げたいことがあります。フランス語には動詞の活用や発音から始まって熟語表現や聞き取りまでいくつも越えるべき関門があります。言葉の洒落(jeu
de mots)やargotと呼ばれる俗語もなかなかむずかしい。しかし総合的フランス語力が試されるのは、やはりエッセーを書き口頭で発表するときです。外国人とフランス語で議論するとき問題になるのは、あなたがどれだけ自分で情報を集め、それだけ自分の頭で考え、どれだけ自分の意見を説得的に表現できるかです。しかも日本のことを聞かれたとき、フランス語で説明できなければなりません。日本はアメリカの属国と思われていますから、イラクへの自衛隊派兵について意見を求められることはないでしょう。しかしプリンセス雅子の病気をどう思うかと聞かれたら、ダイアナ妃のケースと比較して当意即妙に答えられなければなりません。そうした討論能力を養うには場数を踏むしかなく、スピーチコンテストはexpose'(口頭発表)やdebat(討論)の訓練の貴重な機会になるでしょう。
昨年は「フランス語で広がる世界」がモットーでした。今年のモットーとして「フランス語でキラリと光る個性」というのはどうでしょうか。
(以上著者の許可を得て掲載しました。2005.1.23.)