スタンダールとルソー『告白』
−−アンリ・ブリュラールにおける
「理知の発芽」--

Yuichi KASUYA




[金沢大学文学部論集文学科編第14号(1994年3月)に発表。原文フランス語]



[筆者のコメント]

スタンダールというと、有名な「六才で母を愛したとき、わたしはアルベルト・ド・リュバンプレを狂気のように愛したときと絶対的に同じ性格を持っていた、云々」という『アンリ・ブリュラールの生涯』の一節などから、作家研究はおおむね彼の母への愛、父への嫌悪というお馴染みの構図にそって展開されています。
しかしエディプス・コンプレクスをこれだけあからさまに人目にさらすというのは、かえって非常にあやしいことなのではないでしょうか。わたしにはこれは、何か絶対隠しておきたいことがある人間が他人の目をそらすためにやることのように思えます。
わたくしにはスタンダールの一生は、叔母セラフィーが母の死の時に言った不用意な言葉「お前は情なしだ(ものを感じる能力がない)」"insensible!"という言葉があたっているのではないかと常に恐れ、「自分は情なしではない」ことを他人と自らとに証明しようとした人生だったように思えるのです。
以下の論文はこれを主張する試みの一つです。
なおその努力の結果スタンダールは文学理論的にみて非常に興味深いだけでなく、人間と言語の関係の核心そのものに肉薄したテクストを産出するようになったのですが、今日でもその独創性の本質が明らかにされているとは言えないのが全く残念です。
わたくしの力の及ぶ限り、それを解明したく思っています。
読者諸兄のお力をお貸しください。

最初の二つの節は、日本語版ではいまのところ要約だけです(重要でないわけではありませんが)。原文では第II節でルソーとスタンダールの類比がなされ、第III節の議論を準備しています。第III節「アンリ・ブリュラールにおける『理知の発芽』」は完訳です。調子が変わり、上に述べたこの論文の主眼が姿を現します。
こんな論文の書き方というのは本当はないかもしれませんが、わたくしとしてはDomenico Scarlatti  K162番(L178番)を短調にしたような「モノ」が頭にあるのです。...(1996年7月記)



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[ III ] [ FIN ]

I.『告白』と『アンリ・ブリュラールの生涯』(要約)

自伝作家としてのスタンダールはルソーの『告白』を常に意識し続けることを運命づけられていた。最大のモデルであるとともに『告白』は恐るべき敵でもあった。なぜなら方針も、体験内容もルソーと似ているスタンダールは常に『告白』をなぞり、『告白』と同じことを書いてしまう危険に直面していたからである。アンリ・ブリュラールは、『告白』のルソーから自らを分化させることによって誕生したのである。

II. 類似と相違 (要約)

『アンリ・ブリュラールの生涯』において、どこまでがルソーの影響でどこからがスタンダール独自のものであるか、確定することはできまい。少なくとも Victor Brombert のように「類似は無数にあるのだから、スタンダールがルソーの熱心な読者でありつづけたことは間違いない」と言えそうである。

しかし両作家の間にある一つの大きな違いに注目しよう。それは自分の幼児期の精神発育度に関する態度である。ルソーが幼い頃からの読書によって自分は早熟であったと明言しているのに対し、スタンダールの方はずいぶん曖昧である。おそらく早くから本を読み「七才以前には喜劇作家となることを決心」していたと言っているが*、最初の読書の時期を明確にしていない。また革命への共感についても、それを抱いた時期をわざと遅らせて考えようとしているふしがある。「八才の頃抱いた意見は、十才のときのもっとはっきり固まった意見によって隠されているのかもしれない」とか「たぶんわたしは九才か十才で抱いた感情を七、八才の頃のものと勘違いしているのだろう」などと言ってみることによって。しかし「自分の共和主義的傾向は四才(!)にまでさかのぼる」と書いているところもあり、本当は早熟な子だったのではないかと疑わせるのである。
*彼が作家になる決意をしたのはロマン叔父が結婚後実家に置いていった本を夢中 になって読んでのことだという。この叔父の結婚は1790年1月4日である。(ちなみ にスタンダールは1783年1月23日生。)

スタンダールは自分の精神的成熟の年齢を意図的にぼかそうとしていると考えよう。そしてわれわれはその動機を、子供の「理知の発芽」について彼が語っている箇所から探りたい。

III. アンリ・ブリュラールにおける「理知の発芽」

スタンダールは亡き母の埋葬の日について語る下りにおいて一見奇妙な、あわてて混乱したような記述を残している。僧侶がやってきて彼の父にかけた慰めの言葉に反発した幼いアンリが「神を呪うことを始める」という箇所である。これを以下のように六つのセグメントに分けたい。
[1]「友よ、これも神のおぼしめしです」と神父は言った。わたしの憎む男が、もう一人のほとんど愛を感じていない男(=父!)に向かって言ったこの言葉は、わたしを深く考えいらせた。

[2] 人はわたしのことを情なしだと思うだろう。わたしは母の死にただ驚くばかりだった。この言葉(「死」)が理解できなかったのだ。

[3] (使用人の)マリオンがこののち、非難の形で何度も繰り返し言ったことを書いてもいいものだろうか。わたしは神の悪口を言うことを始めたのである。

[4] それに、この土を割って出てくる「理知の発芽」についてわたしが嘘をついているとしても、確かにわたしは他のすべてのことについては嘘をついていない。

[5] もし嘘をつきたい気にさせられるとしたら、それはもっと後の、もっと重大な過失について語るときのことだろう。

[6] わたしは子供の理知、卓越した人間を annoncer する(予告する、告げる)理知などというものをまったく信じない。幻想に左右されることのより少ないジャンルにおいては、なぜなら結局のところ記念物 monuments というのは残るからだが、わたしの知っている全ての駄目な画家たちは八才か十才で驚くべき作品、「天才を annoncer する」ものを作っている。
ああ、何物も天才を annoncer しない。あるいは頑固さがその徴であるかもしれないが。
(『アンリ・ブリュラールの生涯』第4章)

われわれはこのスタンダールの奇妙な狼狽の原因を、彼が愛する母の埋葬の日に「泣く」ことができなかったために招いた「情なし insensible 」という非難への恐怖であると考える。

まずセグメント[2]を、問題の箇所の少し前のところと比較しよう。
叔母のセラフィーは、泣き方が足りないと言って私を叱ることさえした。わたしの苦しみ、わたしの感じたことを思って頂きたい。わたしは翌日にはまた母に会えるものと思っていたのだ。死ということがわからなかったのだ。

そして同じ章の先の方の一節を見よう。
サロンに入り、黒い布に覆われた棺、母の入っている棺を見て、わたしは激しい絶望に襲われた。とうとう死というものを理解したのだ。
叔母のセラフィーはわたしのことを情なしだと言って非難していた。

表現の類似は、問題の箇所、セグメント[2]において自伝作家がおそれているのはセラフィーの非難の言葉であることを十分表している。それに、そうでなければ「わたしは母の死にただ驚くばかりだったのだ。この言葉(「死」)が理解できなかったのだ」という弁解が続くことは、意味をなさないではないか*。
*この同じ箇所を扱っているミシェル・クルゼ Michel Crouzet によればセグメント[2] は「敵意ある反応をあらかじめ骨抜きにするための自己批判」で、このあとすぐにスタンダールは「真正面から攻撃にかかる」というのだが、クルゼは「わたしは母の死にただ驚くばかりだった。この言葉が理解できなかったのだ」という部分を無視してしまっている。クルゼの言う「敵意ある反応」というのはアンリ・ブリュラールが神を呪った事実に対してのことであるようだが、セグメント[2]は母の死に対する無感動への弁解であるとしかとれないのではないか。(cf. Michel Crouzet, "La Vie de Henry Brulard : la moins puante des autobiographies ? " in Stendhal Club no.132, 1991, p.310)


事実われわれには、幼いアンリが母の埋葬の日に涙を流さなかったのは確実であるように思える。実際そのことをスタンダールは『アンリ・ブリュラール』のずっと後の方、使用人ランベールの死の話のところで、ついでの話のようにして突然告白しているのである。
わたしは母の死んだとき泣くことができなかった。一年以上たって、夜中に、寝床 で、初めて泣けるようになった。(第14章)

このたいへん重要な告白はその自然な場所、つまり母の埋葬の日の下りには出てくることができなかった。それだけ著者の中の「抑圧」が強く感じられるではないか。
他にも教会における葬儀の話の中で読者を惑わせる記述がある。
わたしは息が詰まった。わたしが苦しみのためにたいへんうるさくするので、皆はわたしを外へ連れ出さねばならなかったように思う。

一見涙の描写をしているように見えるが、いったいどういう息の詰まり方で、どういう騒音を出したのだろう? スタンダールは何も言わない。われわれはここに意図的な曖昧さを見る。アンリ・ベイルは泣かなかっただけでなく、その事実を曖昧な記述で隠そうとさえしているのだ。この隠蔽は、あきらかに『アンリ・ブリュラールの生涯』のテーマであるエディプス的愛に関わるだけにいっそう意味があり、デリケートであると思われる。

「神への呪い」の下りに戻ろう。
セグメント[2] を取り去れば流れがずっと自然になるのは簡単に見てとれる。セグメント[1]から[3]は「神を呪ったこと」の報告の最中なのである。しかしそこでスタンダールは、神を呪ったという事実が、常に恐れているセラフィーの批判に反駁するためのよい例であることに気付いたのではないだろうか。母の死が理由となって神を呪うことを始めたのなら、理屈から言えば母を愛していたことが証明されるわけであるから。そのため話の流れをさえぎってセグメント[2]が割りこんだのだとわれわれは考えたい。これは先になした弁解の繰り返しである。ここでは「わたしは母の死に涙を流さなかったが、それはわたしが幼すぎて死ということが分からなかったためであり、情なしだからではない」ということを急いで主張しているのである。その後、セグメント[3]で神への呪いの報告が続けられる。
ところがここでまた別の不連続に行き当たる。セグメント[4] では突然この神への呪いという事実そのものの信憑性が問題になっている。つまりスタンダールは急に、「お前の言っていることは嘘だ」という批判を前にした自伝作家のような口調をとっているのである。そのうえ奇妙なことにセグメント[4]でアンリ・ブリュラールは「神を呪うことは精神的成熟の徴である」ということが全く自明のことであるという態度を突然とっている。つまりセグメント[2]では心理の幼稚さが強調されていたのに、[4]では、なんの断わりもなくその反対のことを既に受け入れてしまっているように見える。ここで彼は「神を呪うということは、ある精神的成熟を示すものだが、これについて読者は嘘であると思うかもしれない。自伝作家が自分の早熟さを自慢するための嘘だと思うかもしれない」というようなことを言いたいように思えるのである。
セグメント[4]にわれわれが見るのは、自伝作家として信じ難い譲歩である。「他の全てのことについては嘘はついていない」などとここで言うことは、間接的に問題の箇所で嘘をついたと認めたく思っているように見えるからである。彼は自分が神を呪ったという事実、前のセグメントまで主張していたそのことを暗に撤回しようとしている。ということは同時に、自分の早熟さも否定しようとしていることになる。
しかしセグメント[5]でまた転回がある。幼いアンリは本当に神を呪ったのだ。彼はこれを認めることを余儀なくされた印象を受ける。自伝作家として彼は自分にとって確かである事実を否定してしまうことはできないと実感したのである。しかし同時に別の考察が介入して来ていることが注目できる。自分は嘘をついていないということを証明する姿勢をとるために彼は別の議論、「子供が神を呪っても、それはたいして重視すべき事実ではない」というものを持ち出したのである。たいして重要でないのなら、確かに嘘をついてまで主張すべき必要はないことになるからであろう*。この議論をここで出してくるのは巧妙である。二つの方向に働くからだ。「嘘をついていない」ことを主張する自伝作家のポーズを続けることに加え「子供が神を呪っても、それはその子供の精神的成熟を証明するものではない」ということをも主張するからである。作家は、神を呪った事実は認めても、自分の早熟さの方はどうしても否定したいようである。セグメント[4] で突然暗黙に認められた「子供における神の呪いは確かに成熟の徴である」という認識はこうして否定されたのである。
*クルゼは、この箇所でスタンダールが「自分が嘘をつけるとしても、なぜここで 嘘をつかねばならないか。なぜならここで自分は『過ち』を語っているわけでは ないからだ」と言っているというのだが、スタンダールのテクストのどこにそんな挑戦的な調子があるのだろうか。「もし嘘をつきたい気にさせられるとしたら、それはもっと後の、もっと重大な過失について語るときのことだろう」とい う文をクルゼのように解釈することが可能とは信じ難い。(前掲論文参照)

セグメント[6] 全体は前のセグメントで導入されたテーゼの証明に費されているように見える。しかし注意して読むならば「予告する、告げる annoncer 」という言葉の意味がずれてしまっていることに気づく。セグメント[5]までの議論の流れから考えればスタンダールが証明すべきなのは「子供がたとえ神を呪うというような成熟のしるしらしきものをみせてもそれはたいした意味はなく、その子供が『その時点で』ほんとうに成熟しているわけではない」ということなのに、セグメント[6] でスタンダールが躍起になって主張しているのは「子供が早熟の徴をみせたからといってそれは『未来の』天才を予告するものではない」というものにすりかわってしまっているのだ。スタンダールは「なにものも天才を予告しない、云々」というような、コンテクストからはずれた、ありきたりの考察でこの下りを終わらせている。このありきたりさもある機能を果たしている。おそらく全ての読者が受け入れられそうな観察だということだ。それに対し「神を呪うというような行為はたいしたことはなく、成熟の徴とは言えない」の方は彼において、そう簡単に全ての読者が受け入れるところのものではないとしてとらえられていると言える*。
*スタンダールは以後、神について語ることをかえって「非」成熟の徴とみなすことになったようである。彼は「圧政者」セラフィー叔母が死んだときこんどは 呪いではなく感謝を神に捧げているのだが、そのことをもって「自分はそれほど 子供であった」ことの証拠としているのである(第34章)。当時(1797年1月9日)彼は既 に13才である。

スタンダールはつまり、読者も自分自身も煙に巻いてしまっている。疑いなく彼はディレンマに直面したのである。おそらく、神を呪ったということを母への愛の証拠になるとして誇らしげに報告したセグメント[3]の最後のところで、この同じ事実が正反対のことも証明しかねないことに突然気付いたのである。言い代えるなら、セグメント[3]の最後において神を呪うことは「理知の発芽」と見なしうると突然納得させられ、そこから論理的に彼がどうあっても絶対認めたくないことが結論されてしまうということである。
もし彼が七才で大人だったなら死というものを即座に理解できたはずであり、ならば母の死に涙を流せなかった彼は、セラフィーの「おまえは情なしだ」という非難を不当なものとできなくなってしまうではないか。
それでいったんは自分の言ったことを撤回したく思ったが、それは自伝作家として信義にもとることになる。これがアンリ・ブリュラールのディレンマだったのだ。
だからセグメント[3]と[4]の間に、ある声がスタンダールに聞こえたのでなくてはならない。神を呪うという行為は成熟の徴と見なされると、権威をもって主張する声が。
その声をわれわれはまさにルソーの『告白』の中に聞くことができるのである。
わたしは宗教について同年齢の子供以上に知っていた。... わたしの子供時代は、子供とはいえない。... 人はわたしが自分を神童に見せたがっているといって笑うだろうが、六才にして小説に夢中になり、涙を流すまでに感激したというような子供を連れてきてほしい。そうすればわたしは自分の非を認めよう。
だからわたしが、子供に宗教のことを話してはいけない、子供は神のことを知るのが不可能だと主張するのは、わたしが他人の中に観察したことから考えたのであって自分の経験からではない。六才のジャン=ジャック・ルソー(なみの早熟な子供)をみつけたら、七才で彼に神のことを話してもなんの危険もない。(『告白』第一部第二巻)

どちらの作家においても、宗教的コンテクストで七才の子供の精神についての考察が問題になっている。ルソーにおいては宗教的な事柄の理解力というものが早熟一般と緊密に結び付けられている。彼は神について語る能力を大人の特権とみなしているのだ。『エミール』においてルソーは神を認める能力を得る年齢について対話の相手に、十五才でも早い、と言っている。彼は自分で言っている通り、自分自身の場合は例外にしているわけだ。
スタンダールもルソーの例に従いかかったように見える。セグメント[4]でスタンダールがとった態度と、先の引用におけるルソーの態度の類似は明らかである。両者とも自伝作家として、語られている事実が真実であることを主張している。そしてその事実というのが暗黙に早熟の徴と見なされているのである。ただしスタンダールにおいては、この立場をとるということは話の自然で論理的な流れを混乱させることになるのである。彼は安易に、逆の方向に向かう道をとってしまった。この不注意の原因はルソーの『告白』の想起にないだろうか。スタンダールの心に『告白』 の問題の箇所が自然にやってきたというのは、ありそうなことではないだろうか。
スタンダールは苦労を重ねて、ともかくもルソーと反対の結論に到達した。七才のジャン=ジャックは神童だったが、アンリ・ベイルは全くの幼児だったということになった。そして後者は、先に見たように、自分の早熟の痕跡を曖昧にしていく。彼はルソーのテクストの想起と戦い、「勝利をおさめた」、つまりルソーから自らを分化させることができた。
しかし作家になるという決意は七才以前に遡るという記述をまじめにとるなら、スタンダールはルソーと同じくらい早熟だったと信じても構わないはずである*。彼は本当は六才で「小説に涙を流して感動していた」自分を思い出したかもしれない。スタンダールが自分の早熟さをずっと主張しつづけられなかったのは、彼が母をなくしたときちょうど七才、ルソーのテクストにおいて決定的意味を与えられた年齢だったからではないだろうか**。
*ちなみに彼は七才でラテン語を始めさせられている。理解の度合はともかく、 彼の祖父の判断によるなら、この年で既に彼はラテン語学習が可能な成熟度に達していたのである。
**本論文発表後に、本論とは問題意識を異にするものであるが『アンリ・ブリュラールの生涯』の同じ箇所にBeatrice Didier氏が "La religion d'Henry Brulard" in Cahier Stendhal no.1, Queen's University, 1984, p.11-12 で言及し ているのを知った。
(1996年3月追記)

Copyright 1993 Yuichi KASUYA

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