文学における双子 その広大なイメジャリー

0. はじめに

 ドイツは18世紀において、プレ・ロマン主義として勃興した文芸思潮「シュトルム・ウント・ドランク期」を代表するクリンガーの作品に、王家に生まれた双子の兄弟争いを扱った『双子』(1776年)がある。そして、この悲劇に対する従来の解釈に対する不満が、そもそも「文学における双子」のテーマをここ10年間研究課題として取り上げてきた直接の動機である。すなわち、『双子』に対する従来の研究は、時代精神と絡めた登場人物の憂鬱的気分や主人公グエルフォの強力な個性、あるいは近代的な疎外を問題としてきた。しかし、この作品をより深く理解するためには、登場場面が少なく一見影響力が微弱に思えるその兄フェルディナンドとの双子としての関係を抜きにしては語れない。封建制における家督権や名誉を巡っての双子の兄弟関係を解釈の中心に置くべきなのである。

 これを契機に「やはり、双子ものは双子が研究するのが一番」と考え、その資料的前提として、双子(以下、全て双子以上の多胎児をも指す)の登場する文学作品を書誌的に検索し、また同時に収集するようになった。その成果は、すでに拙論「子どもの本における双子」や「文学における双子:最近のバイオものを中心に」などにまとめている。また、書誌情報に関しても、これまで『ニュースレター』(17号および21号)に発表したり、ウェッブ・サイド(http://web.kanazawa-u.ac.jp/‾germ/member/lehrer/megumi/booklist.html)で公開したりしている。本稿では、その書誌リストの中から日本語で読めるものを中心にして、文学作品に登場する双子の多様な機能と広大なイメジャリィの世界を紹介したい。以下、書誌リストを参照しつつ読んでいただければ幸いである。ただし、当然ながら文学作品や神話等であるから、純粋に一つのモチーフないしはイメジャリィで形作られているとは限らず、場合によっては複数の要素が絡み合ったり、入り組んだりして構成されているものも多い。また、分類も完全なものではない。

尚、従来のこの分野における研究であるが、そもそも研究例が少数である上に、個別のジャンル(たとえば、青少年文学についてのStoreyの研究や、演劇分野でのPollの研究)やテーマに限定されたものが大半で、総括的な研究は余り目にしていない。

1.創造神話と世界原理

1.1.神話

 世界各地に残る由来譚や世界の双子起源神話は、たとえばジョン・ラッシュの『双子と分身』や各種の宗教・民族学事典に詳しい。アフリカ大陸やアメリカ大陸の各地には、二元論的な双子を世界創造の神話的起源とするものも多い。ここでは、特に有名なものとして「ロムルスとレムス」を挙げておく。二人はローマ建国の英雄であるが、後に兄弟で戦う悲劇的な結末を迎える。同じようにギリシャ神話で有名なのが「双子座」の由来譚、つまりレダの双子の息子カストールとポルックスの物語である。また、ボリビアの由来譚『太陽と月になった兄弟』は、村を冷害から救うために天に登っていった双子がそれぞれ太陽と月になり、人々が明るく幸せに暮らせるようになったと物語っている。

1.2.世界原理

 こうした二元論的な世界の構造・原理をファンタジーやフィクションの世界に持ち込み、善と悪、光と闇の闘いをストーリー展開の中心に持ってくる作品がある。まだ刊行途中の栗本薫の『グイン・サーガ』は、80巻を越えた現在でも今後の展開が読めないので別格としても、千葉暁の『アルス・マグナ』は男女の双子が光と闇の化身となって闘う。分かりやすくメリハリの付けやすいモチーフなので、ゲーム・ソフトやファンタジー・ノベルに適したイメジャリィかも知れない。

2.英雄譚と貴種流浪譚

 世界や特定の国・都市の起源を表現する神話や伝説の系譜に乗るものとして、英雄譚や貴種流浪譚が挙げられよう。権力や富の象徴として英雄的な人物が双子をもうける話は世界各地にあるようだが、オイディプスの二人の息子(エテオクレス、ポリュネイトス)の悲劇的な結末を描くものにアイスキュロスの『テーバイへ向かう七将』がある。また、「変身ゴレンジャー」ものに連なると思われる藤真知子の『せいぎのみかた五つ子ちゃん』は、変身して悪をやっつける五つ子の活躍を描く「ニュー・ヒーロー」である。

 人類史上の偉大な人物、あるいは高貴な生まれの人物が世界を流浪しながら、奇跡的な足跡を残す物語として、イエス・キリストが弟子のトマスと実は双子だったという伝承がある。これを題材として長大な小説として仕上げられたものが、三田誠広の『地に火を放つ者』である。この作品では、福音書の出来事が「双子の兄弟」トマスの視点から語られる。

 また、高貴な生まれの人物が幼少の日にさらわれ、流浪的な生活を送るというモチーフをうまくプロットの中に組み込み、王位の逆転が生じながらも兄弟争いに発展することは避け、調和的な結末へと結びつけているものに、C. F. ルイスの『馬と少年』がある。

3.兄弟争い(王権、家督権、遺産を争って)

 これとは逆に王位や家督権、あるいは遺産を巡る双子の兄弟・姉妹争いには枚挙にいとまがない。前述のエテオクレスとポリュネイトスの争い(ラシーヌに『ラ・テバイット』という悲劇作品がある)をここに入れても良いし、旧約聖書のエサウとヤコブの兄弟争い(同時に、イスラエル12部族の起源譚)も見落としてはいけない。その他の有名かつ重要な作品としては、デュマの『仮面の男』(ダルタニヤン物語り12、『鉄仮面』)やイプセンの『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』、さらにはスタインベックの『エデンの東』がある。軽いものとしては、どちらも当代の人気作家のものであるが、ラドラムの『砕かれた双子座』やシェルダンの『ゲームの達人』がある。

4.間違いの喜劇

4.1.伝統的「間違いの喜劇」

 プラウトゥスの『メナエクムス』以来、ヨーロッパの演劇には「間違いの喜劇」の系譜がある。これは、基本的構造としては、幼くして分かれ離れになった双子が長じて再会するのであるが、双子であることを知らない両者の関係者が混乱を来すというものである。シェイクスピアの『間違いの喜劇』では、さらに両者の従者を双子にすることでプロットをより複雑にしている。また、ゴルドーニの『ヴェネチアのふたご』では、愚者のモチーフを混入しつつ、弟のザネットを殺させてしまうことで、この陳腐化しつつあったモチーフに新たな契機を持ち込んでいる。このモチーフは非常に愛好されたが、生き別れの双子の取り違えを自然なものとして設定するところに難しさがあり、特に本人たちが取り違えに気がつかないはずがないような状況設定では、極めて苦しい展開になる。このモチーフにおける最高傑作は、シェイクスピアの『十二夜』であろう。この作品でシェイクスピアは、二組の恋愛(男女の双子がそれぞれ絡む)に奇抜な登場人物を配することで、様々なアクセントを配することに成功している。

4.2.ギャグを含む取り違えのおもしろさ

 プロットの大筋とは関係ないところで、エピソードとして取り違えのおかしさを利用しているものには、中場利一の『岸和田少年愚連隊』がある。対偶者と間違えられて叱られたり、関係ないトラブルに巻き込まれた経験のある双子には共感する所大である。

4.3.取り違えを利用するもの

 間違いを意図的に利用する展開もよく見られる。有名なのは別々に育てられている双子姉妹が入れ替わって、離婚していた両親を元の鞘に納めるケストナーの『二人のロッテ』であろう。また、斉藤洋の『なんじゃひなた丸まぼろし衣切りの術の巻』では、双子の姉妹が入れ替わりながら分身の術を使う。ノリスの『双生児の秘密』では、野球のピッチャーとキャッチャーが双子で、入れ替わるというメリットのよく分からない設定がなされている。マラソンの途中で選手が入れ替わって優勝し、後で問題になった実例があるが、野球ではルール違反にはならないのであるが。

 取り違えを恋愛で利用するものには、アンドリュースの『姉妹はライバル』がある。対偶者に成りすまして、恋をゲットしてしまうパターンである。これを犯罪ものとして違う意味に展開したのが、ウェストレイクの『二役は大変!』である。この後味の悪い作品では、主人公が双子の姉妹の両方と関係を持とうと画策し、自分も双子だと嘘をついて双子を演じる。モチーフとしては、ゴルドーニの『一度に主人を二人持つと』に連なるものであるが、富豪の双子姉妹の両方と結婚し、両者を殺害して遺産をせしめるという結末はいただけない。

5.冒険譚と補助者としての双子

 物語の中で、双子の一人ないしは二人が冒険に出たり、援助的な役割を果たすものも多数ある。双子の相互協力や助力は、物語論的にも実際の生活においても重要な要素である。

5.1.二人そろって冒険

 二人がそろって冒険に出かけ、協力し合いながら課題を果たすというプロットでは、いぬいとみこの『ながいながいペンギンの話』を始めとする動物双子シリーズ(『北極のムースカミーシカ』、『ぼくらはカンガルー』、『白鳥のふたごものがたり』)、さらにはフィーストの『王国を継ぐ者』などがある。後者では、両者そろって冒険に出るものの、途中で離ればなれになり、最終的に合流して課題を成し遂げる。

5.2.一人が冒険、もう一人が補助者

 双子のうち片一方のみが冒険に出かけ、もう一人は残留して、精神的もしくは物理的な補助の役割を果たすものもある。前述のルイスの『馬と少年』もそうだし、これも名作のロフティング『ささやき貝の秘密』も男女の双子をそれぞれ冒険者とその精神的補助者として人物配置している。

5.3.二人そろって冒険に出るが、一人が補助者になる

 二人そろって冒険には出るのであるが、最終的には片一方のみが主導的な役割を果たし、もう一人がその補助者として働くものも特にメルヒェンに散見される。グリム童話では、『二人兄弟』および『黄金の子ども』がこれに当たる。昔話の類型としては、このモチーフはかなり古い基本形に属するものと考えられていて、精神分析・深層心理的解釈の対象にもされている(河合隼雄やドリューヴァーマン等)。

5.4.二人そろって補助者の役割

 他方、双子が登場するものの二人とも主人公ではなく、副次的人物にとどまり、主人公の行動を補助する役割を果たすものもある。たとえば、ランサムの『オオバンクラブの無法者』には右舷、左舷というあだ名の姉妹が登場し、主人公を助ける。また、小嵐九八郎の『黙っていてもふたごは』では、双子の姉妹がダメ親父を父親、否、大人の人間としての自覚へと導く。

6.類似と差異:一致、対照、分身(双子の典型的なダブル概念)

 この項は、双子のイメジャリィの中でも、「間違い」のモチーフと並んで最も双子らしい、特徴的なものである。

6.1.二人で一人前、一人一人が特別な職能を持つ

 一般にも双子は二人で一人前との偏見があるが(宮崎駿:『千と千尋の神隠し』にもこうした科白が出てきた)、このイメジャリィをギャグ的に使っているのが、マンガではあるが森下裕美の『少年アシベ』である。このマンガに登場する双子は同じ会社に勤めているのであるが、二人で一人前だとして半人分ずつしか給料がもらえない。また、マコーミックの『双子』では、双子が二人そろって一緒に発話して初めて常人には理解ができる言葉になる、言葉が半人前の双子が登場する。これは、双子が同時に同じことを発話する『モスラ』のザ・ピーナッツ演じる双子姉妹とは異なった設定である。また、技能や性格が分裂していて、一人一人があるものに特化しているものがある。たとえば、『王さまと九人のきょうだいたち』では「ちからもち」とか「くいしんぼう」とか「ぶってくれ」等の得意技能を持つ九つ子が登場する(ビショップの『シナの五人きょうだい』では五人)。
少し観点が違うが、双子に一人の人格の陰の部分と日向の部分を見る考え方がある。川北亮司の『ふたごの魔法使い』シリーズにおけるネネブとデデブや、前述の『千と千尋の神隠し』における湯ばーばと銭ばーばもそうだと考えられる。文学作品における双子のモチーフを人格の分離や人格の裏と表と解釈する傾向も、特に心理学者に強い。

6.2.完全な一致および同一の運命

 双子における完全な一致もよく好まれるモチーフである。極端な例としては、グリーンの『双子』における以心伝心と同調性の極みとしての同時の死が挙げられる。一般においても、双子が同時に怪我をしたり、片一方がもう一方の痛みを感じたりすると信じられていることがある。これを扱ったのが、ヤーンの『ふたご物語』である。また、南條範男の『双生児の夢入り』では、お互いの夢の中にすら入ることができる双子の悲劇が描かれている。ビアスの『双子の一人』では、父親すら分からないそっくりの双子が登場するが、この二人はテレパシーでしっかりと結ばれている。

6.3.超偶然、運命もの(ノンフィクションを中心に)

 分かれて育った双子が運命的に出会うモチーフにヒギンズの『双生の荒鷲』がある。この作品ではドイツとアメリカに別れた双子が戦闘機乗りとして合いまみえるのである。また、多くのノンフィクション作品に、分かれて育った双子の類似性や宿命を扱ったものがある(たとえば、『世界で起きた偶然の一致 99の事件簿』)。

6.4.分身

 西山直樹の『パパはまほうつかい まほうつかいのにちようび』では、分身の術によって双子が全部で14つ子になってしまう。分身は普通は広義の上部概念であるが、これは文字どおりの分裂、術・魔法としての分身である。

6.5.撞着・精神的未分離の問題

 9.1.の「自立と個性」にも密接な関連があるが、双子の撞着を極端にグロテスクに扱ったものがある。吉行理恵の『迷路の双子』では、妹との二人きりの人形遊びの世界から逃れられず、その夢想の中で、歪んだ人間関係に陥っていく女子中学生が描かれている。

6.6.近親相姦

 双子間の近親相姦も時折見かけるモチーフである。ゲルマン神話に源を持つトーマス・マンの『ベルズィンゲンの兄弟』、あるいは姫野カオルコの『変奏曲』は男女の双子の関係を描くものである。しかし、最近の特にヤング・アダルト系のノベルには、同性愛の近親相姦が見られる。南原研の『すきゃんだらすツインズ』シリーズは、最近ブームになっている学園ホモ・セクシャルもので、なおかつ双子の近親相姦を扱った問題作である。

6.7.セクシュアリティ

 双子、特に一卵性のそれの肉体間の差異と類似を焦点とするものがある。吉行淳之介の『双生』では、今抱いている妻は本当に妻なのか、セクスの観点で問う。また、村上春樹は『1973年のピンボール』以来、双子の姉妹の両方と同時に関係を持つモチーフを展開している。また、各種のポルノ作品やヌード写真集には、双子の姉妹のどこが同じでどこが違うか的な興味本位のものがあり、戸惑うことも多い。

7.人間でない双子

 大げさに言えば、次の項に関連するのであるが、人間以外の異界的な存在や動物、乗り物に双子が頻出する。

7.1.動物

 動物は種類によっては単胎ではなく多胎であることが多いので、当然、実写・実話ものを含めて、双子ものに動物のキャラクターが登場してくる。よく出てくる動物は、イヌ(中川李枝子:『わんわん村のおはなし』や東君平:『みつごのグッチチッスパッス』)、ネコ(久保秀一:『ふたごの子猫ドッチとコッチ』)、ゾウ(田村仁:『ふたご象のチムとチュム』)、ブタ(中川李枝子:『三つ子のこぶた』)、ネズミ(中川李枝子:『ぐりとぐら』、芭蕉みどり:『ティモシーとサラ』シリーズ、角野栄子:『カレーライスはこわいぞ』)、ペンギン(松岡享子:『おふろだいすき』)などである。

7.2.乗り物

 乗り物では、今の所機関車と電車しか発見していない。論者としては、たとえばツイン・ターボ搭載の双子のレーシング・カーなどが面白いと思うのであるが。有名なものとしては、渡辺茂男の『ふたごのでんしゃ』やオードリーの『ふたごの機関車』等がある。

7.3.妖精など

 次項のフリークスものと通底するが、妖精やおばけに双子がよく出てくる。大人気シリーズであるつちだいさむの『リトルツインズ』シリーズは、タフルとチフルという名の妖精が主人公であり、自然の中での心温まるエピソードが語られていく癒し系。クルツの『双生児』では、守護天使が守るべき女の子の双子の兄弟として生まれ、守護天使としての守り役に就く物語である。また、トーベ・ヤンソンの『ムーミン谷へのふしぎな旅』では、双子にだけ通じる言葉をしゃべる妖精が登場する。大川悦生:『ふたごのおばけ』のおばけには、おばけらしく名前がない。

8.フリークスとマイノリティ

 ダイアン・アーバスがフリークスの写真集で双子姉妹を撮るずっと以前から、そして、フィードラーが名著『フリークス』で結合型の双生児を扱うずっと以前から、双子は奇形としてみられることがあった。実際、多くの双子とその家族(特に母親)がそうした偏見に曝され、つらい思いをしてきたことは、たとえば日本における双子に対する誤った負のイメージの歴史を見れば明らかである。

 しかし一方で、チャンとエンという結合型の双生児が見せ物小屋で有名となり、「シャム双生児」という名称が彼らにちなんで生まれた。本来、この二人はシャム(タイ)の生まれではあるが中国系なので、「シャム双生児」では不正確なのである。だが、この名称は残念ながらそのグロテスクなイメージと共にすっかり定着してしまっている。さて、この兄弟のことを扱った作品はかなりの数に登るが、有名なものとしては、ナボコフの『ある怪物双生児の生涯の数場面』やマーク・トゥエインの『かの異形の双生児』がある。また、連結双生児のモチーフを使った作品に、海野十三の『三人の双生児』や横溝正史の『蟹』があるが、余りにグロテスクな描写とプロットに双子としては正視に耐えない。

 双生児研究は、犯罪学の関連で犯罪を犯してしまった双生児の気質的な特徴を調べた歴史を持つが、犯罪者としての双子を描くものとして、スイスの国民作家ケラーの『マルチン・ザランダー』がある。また、後述するが犯罪者双生児のノンフィクション作品もある。

 さて、フリークスと同じ軸に立つものとしてマイノリティを捉えることもできよう。社会的な弱者として、やはり差別と偏見の矢面に立たされてきたからである。そうしたものの中で、マイノリティの人間的な優しさと家族愛を描くジョーダンの『アーミッシュに生まれてよかった』は、双子自身の心の成長をも同時に扱う秀作である。

9.双子に固有の問題を扱うもの

 双子は決して特種な存在ではないが、しかしあくまでも双子であって、双子としての独自性や特徴を持っている。そうした双子固有の問題領域を文学的に表現する作品群がある。もちろん、程度に差はあるが、双子固有の問題を扱いながら人間一般に合い通じる普遍性を有することには論を待たない。

9.1.自立と個性(思春期ものを中心に)

 双子が自分たちが双子であることを肯定的に受け入れながら、自分の個性に気づき、自立していくことは、双子の成長過程の大きな目標の一つである。そして、それを強く意識するのが言わゆる思春期である。従って、思春期とその時期の恋愛感情をテーマに持ってくる作品が多いのは極めて自然なことと言えよう。

 しかし、自立心が芽生え、自分の個性に気がつきはじめるのはもう少し前の段階であり、その意味で、小学生の中学年あたりを題材にする作品も多い。灰谷健次郎の『ふたりはふたり』は、姉妹の上下の区別や着る物等が全部一緒なのが嫌で、「べつべつにんげん」になることにした双子姉妹が、それぞれの得意分野を発見して、自己に気づいていく物語である。また、岡田なおこの『ふたりっ子』では、障害や「いのち」の問題を絡ませた上で、自立を扱っている。その他、この項では浅川じゅんの『3年1組のふたごちゃん』や角野栄子の『アイとサムの町』を挙げておかなくてはならない。

 有名なブライトンの『おちゃめなふたご』シリーズの人気には根強いものがあるが、同じ双子姉妹の学園生活を扱ったものに、パスカルの『スイートヴァレリーツイン』シリーズがある。論者としては、後者の方が実際の双子の感情・感覚に近いと読むがいかがだろうか?また、直接に恋愛問題を主題とした作品として、日比野あやの『ツインな恋の変奏曲』や堀田あけみの『ボクの憂鬱 彼女の思惑』、そして大物作家であるジョルジュ・サンドの『愛の妖精』がある。

9.2.成年期(人生の振り返り)

 双子の心情を通じて人生の意味を振り返らせる「骨太」の文学作品として、梅崎春生の『狂い凧』と野坂昭如の『名前のない名刺』の名を挙げておかなくてはならない。前者では、戦地で自ら命を絶った双子の弟への追憶と様々な偶発性に彩られる人生への沈思が綴られており、後者では、疑似双子という事情を知る者(兄)と知らぬ者(わたし)という複雑な関係の中で、「兄」に迷惑をかけられっぱなしの「わたし」が名刺を持たぬ自分の職業(作家)と家庭を問う。

9.3.死別の問題

 双生児の死別の問題は場合によっては深刻である。双子の場合、死別のストレスは実母の場合よりも高いとの研究もあるほどだからである。同じ生活圏内にいることの多い双子は、対偶者の死に直接・間接的に関係することもあり、その死の責任を自分に科す(フェート:『さて、ぼくは?』)。極端な場合では、罪悪感やショックから対偶者の人格が出現し、二重人格になる(高科正信:『ふたご前線』、小池真理子:『ナルキッソスの鏡』、ウッズ:『パリンドローム』など)。

 しかし、そうした特殊な死別ではなく、普通の病死や事故死による死別の悲しみとその克服を扱った作品群も多い。ボーゲルの『ふたりのひみつ』やフェリスの『時を越えた記憶』は少年期・思春期の、津島祐子の『双生児』は青年期の死別を主題としている。

9.4.別々に育った双子

 別々に育った双子の話題は双生児研究の定番の一つであるが、別々に育てられた双子がその後出会い、それぞれの立場の中で悩み揺れる様を描いたものに、川端康成の名作『古都』がある。

9.5.双子の家族(特に、兄弟姉妹の問題)

 双子の育児は家族に大きな影響を与える。また、双子の存在も社会・交友関係に様々な波紋を投げかける。双子の兄弟姉妹を持った子供の苦労は、ケラーの『動物お断り こどもお断り』や菊池澄子の『三つ子のおねえちゃん』にユーモラスに描かれている。偶発的に双子を育てる羽目になった男たちが、宮部みゆきの『ステップファーザーステップ』や月村奎の『ブレッド・ウイナー』に登場している。また、アルテンベルクの『双子』では婚約者を取り違えた青年が、そしてアプダイクの『双子姉妹』では妻の双子の姉妹に惹かれる夫が主題となっている。

10.双子の生涯

10.1.自伝もの(聞き取りも含む)

 自分史として自費出版した自伝を追跡することはかなり困難であるが、実在の双子が書いた作品はかなりあると思われる。結合双生児では、マーシャ・ダーシャの『マーシャ・ダーシャ』とトグェン・ドクの『声を聞かせて、ドク』がある。有名スポーツ選手のものでは、宗兄弟の『振り返ったら負けや』や荻原次晴の『次に晴れればそれでいい』がよく知られている。また、ライプホルツ=ボンヘッファーの『ボンヘッファー家のクリスマス』は、ヒトラー暗殺計画に荷担したとして処刑されたプロテスタントの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーの思い出を双子の妹としての視点で綴っており、論者にとって決して忘れられない一冊である。

10.2.評伝もの

 評伝において取り上げられるのは何らかの話題性がある双子である。日本における筆頭としては、やはり金さん銀さんであろう。いくつかあるが、面白いのは何を食べて長生きしたかの記録、鈴木朝子『百六歳のでゃあこうぶつ』である。また、犯罪にまつわる暗い評伝としては、ウォレスの有名なノンフィクション『沈黙の闘い』やピアースンの『ザ・クレイズ 冷血の絆』が挙げられよう。

10.3.育児体験書

 双子を生み育てることは、当該の家族、特に母親と父親にとっては一生の大事件である。従って、その際の様々な苦労や喜びを体験談として語ったり、書いたりすることも自然な行為であろう。

 これも自費出版を含めるとかなりの数になると思われるが、いくつか例示したい。診断から立ち会い出産を経て、5歳に至るまでの経験を書いた岩波洋子の『双子あたふた』や実子ではなく養子の双子を育児した体験記である野口佳矢子の『養子家族ストーリー』などのように、さらに別の要素が加わったものがある一方、墨威宏の『僕らのふたご戦争』やかんべむさしの『フタゴサウルスの襲来』のような父親の体験記もある。また、スーパーツインとしては、田中奈那子の『五冊の母子手帳』などがある。

11.近代的自我、アイデンティティを問う双子

 人間一人一人を自由な独立した存在と考える近代的自我思想は、18世紀以来われわれの人間・世界観の基盤にあるが、これを双子のモチーフを通じて追求したり、問い直すことを主題とする作品群がある。ジャン・パウルの『生意気盛り』(1804年)、トゥルニエの『メテオール』、あるいはセンセーションを引き起こしたアゴタ・クリストフの『悪童日記』三部作などがこれに当たろう。ただし、自我を問うということは文学の普遍的な主題であるので、大多数の文学作品においてこれが問題とされていることは言うまでもない。

12.サスペンス・ミステリィ

 「双生児その他、瓜二つといえるほど極似した人物を登場させるのは、その存在が読者に予知可能の場合を除いて、避けるべきである」というノックスの探偵小説十戒にもかかわらず、双子はミスティや探偵もので愛好されるモチーフである。しかもその姿は、犯人であったり、探偵であったりと多彩である。

12.1.双子探偵

 入れ替わりのトリックを使ったり、抜群のチームワークを駆使して犯人を追いつめたり、やっつけたりするものとしては、横溝正史の『双生児は踊る』二部作、赤川次郎の『ウェディングベルはお待ちかね』シリーズ、志茂田影樹の『双子姉妹事件簿』シリーズなどがある。また、この分野には子ども向けのものも多く、宗田理の『ゴットマザーと子ども軍団』シリーズ、はやみねかおるの『夢水清志郎』シリーズ、笹川ひろしの『どっきりふたご名探偵』シリーズ、アドラーの『ふたごたちはたんていだん』シリーズ、そしてホープの『ボブシーきょうだいたんてい団』シリーズなど枚挙にいとまがない。面白いことに、これらの作品はほとんどどれもシリーズ化されるほどの人気がある。

 

12.2.双子が犯人もしくは容疑者

 前述の十戒によって、そっくりな双子がアリバイ工作にその類似性を使うことは禁じられているので、この分野ではまず対偶者殺しが問題となる。江戸川乱歩の改作『三角館の恐怖』では遺産争いで殺人が起き、同人作の『双生児』では兄に成りすまして犯罪を続けた半生を死刑囚が教誡師に語る。アリバイ・トリックの名人有栖川有栖の『マジックミラー』は、アリバイ・トリックの境地を見せるが、ここでネタを明かすわけには行かない。グリーンの『被告側の言い分』では、そっくりな双子の場合目撃証言があっても犯人が同定できないという問題が、マーク・トゥエインの『かの異形の双生児』とクイーンの『シャム双生児の謎』では、結合型の双生児の場合、分離せずに処罰できるのかという難問が提出されている。また、オベールの『マーチ博士の四人の息子』では、四つ子の中の誰が犯人なのか息詰まる謎解きが軸になっている。

13.バイオもの

 双子は単に不妊治療の関連でバイオ・テクノロジーや先端医療とつながっているのではない。一卵性における遺伝の問題も含め、「いのち」の尊厳と不思議さそのものに関係している。こうした背景から、近年バイオものと呼ぶべき作品が出てきている。

 まず、ハクスリーの『すばらしい新世界』では、世界は全て人工授精による多胎児で構成される未来が描かれる。また、フォレットの『第三双生児』やレヴィンの『ブラジルから来た少年』、あるいは東野圭吾の『分身』では、クローンを使った陰謀が扱われている。もちろん、同じ母胎から生まれたのではないクローンを双子と考えるかについての議論は留保付きではあるが。同じクローンものでもケルナーの『ブループリント』は、クローンとして生まれた娘であり双子の妹であるズィリの視点から、「自己」を問題とした秀作である。

14.その他

14.1.鏡のモチーフ

 鏡のモチーフは、ダブルの概念が問題となる作品には必ずと言っていいほど登場する。従って、当然双子ものの場合もこのモチーフが頻出する。たとえば、カーグの『すにっぴいとすなっぴい』では、人間の家に侵入した双子のネズミが鏡を見て帰路を失いかけてしまう。また、住井すゑの『空になった鏡』では、同じアーボという名の双子王が鏡を取り合い、その鏡が割れて天になったという由来譚が語られる。前述のクリンガーの『双子』ではグエルフォが激情と分裂した自我に耐えられなくなって鏡を割る場面があるが、割れた鏡の象徴性は極めて高い。

14.2.対になっていたり語呂合わせの名前

 双子の登場人物の名前について述べておきたい。最近では一郎=次郎のような序列を付けた命名は避けるようになってきているが、文学作品には対になる名前(夏彦=冬彦、美奈=美穂、ネネブ=デデブ、松子=梅子=竹子など)や序列的な名前(真一=真二など)がまだ多い。また、じゃんけんなどの語呂合わせを使ったものもあるが、これは先頃問題となった「金さん銀さんの三つ子の妹銅さん」が質の悪いジョークであったように、現実の命名ではありそうもない話である。作品としては、はやみねかおるの『夢水清志郎』シリーズ(亜衣=真衣=美衣)、宮西達也の『みつごのおばけ パピ・プペ・ポー』、みどりふみたけの『みつごのキョンシー わんたんめん』、東君平の『みつごのグッスチッスパッス』などがある。

15.双子・双子の親の作品

 最後に分類の視点を変えて、イメジャリィではなく作者が双子または双子の親である作品を挙げておく。

15.1.双子の作品

 作者自身が双子であって、双子を題材とした作品としては以下のものが知られている。前述のボーゲルの『ふたりのひみつ』、生源寺美子の『もうひとりのぼく』、田島征三の『絵の中のぼくの村』、田島征彦・田島征三兄弟の『ふたりはふたご』、そして浦上かおり・浦上ゆかりの『ふたごのかぽとゆぽ』。最後の二作品は双子の共同作業による絵本である。

15.2.親の作品

 双子の親が書いた双子ものとしては、前述の菊池澄子の『三つ子のおねえちゃん』やシェイクスピアの『間違いの喜劇』と『十二夜』がある。

16. かわいい路線

 双子ものには、ただかわいいからと双子を登場させるものがある。また、犯罪ものや探偵ものに多いが、これを使って、ある犯罪の悲惨さを際だたせるために犯罪の被害者を子どもの双子に設定する作品がある。P.アーリイの『おまえが殺ったと誰もが言う』やキャスリーン・レイクスの『死の序列』などがこれにあたる。

尚、本稿は2001年5月19日慶応大学を会場として開催された「双生児研究学会2001年度研究発表会」で報告した報告に、整理・加筆したものである。